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静森微音
全曲解説

日記『音拾い』に書いていたのを、一つにまとめたものです。

2006.5.23. 1 >『蒼天賦』

さて、まずは『蒼天賦』。アルバムが完成してから、どこかに振り仮名をつけておけばよかったなぁ、と思った事であった。『そうてんふ』と読みます。『賦というのは詩経の六義の一つで、心に感じた事をそのまま述べる表現方法…ではあるが、詞の内容は必ずしもこの意味には沿っていない』(当時の日記より転載)。『蒼天』はそのまま青い空のこと。最初に冒頭のサビのメロディが浮かび、詞は音から聴き取って書いた。実はこの最初の四行ができた後で、何十年か前の、あの戦争について書こう、と決めた。『これは実際にはまだ見ていない或る芸術作品のタイトルと、その内容についてのただ一つのキーワードだけを許にして、そこから広げてみようとしている詞なのである』と当時の日記に書いたが、そのキーワードというのが実は『戦争』だったのだ。こういう作り方は初めての試みだったので、私自身は非常にわくわくした。

しかしもちろんテーマがテーマだけに、そういつまでも不謹慎にわくわくしてはいられなかった。近年異国の地で起こっていた戦争については、前作『騒音に沈む針』で書いたけれど、自分の国であったものを材に取って作るのは初めてだ。戦争によって突然断ち切られる縁とはどのようなものだろう。私にはそれを自分の体験として理解できるはずもなかったが、母と、もう疾うの昔に亡くなった祖父母の戦争体験を聞いた記憶があった。それはこの作品に書いたものと直接繋がるような話ではないのだけど、戦争が、そう遠くもない年月の事なのだ、とつくづく実感した。その時に何か一つでも違う選択をしていたなら、母も、私も、今ここにはいなかったのだから。

曲としては会心の出来だと思っている。オケも、メロディも、詞も、全てに不満のないものが作れたのは一体いつ以来なのだろう。思い出せない。その分録音は苦労した。本当に苦労した。

この世に取り残された者は、先に旅立った者の事を記憶に留めておく義務があると思う。未練を残すのではなく、時折静かに思い出して、忘れずにいること。『無くなったもの』にしてしまわないこと。それができるのは、今生きている者だけだから。

2006.5.30. 2 >『遣らずの雨』

丁度一年くらい前に完成した曲。イントロで鳴っている音色を使ってみたくて作り始めたので、曲先行。当時の日記には『言葉と音とが余程びったり合っているものでないと、この曲は成功しないだろう』と書いている。Aメロができた時点で、弾むようにリズム感のある詞にしなければならない、という事は分かった。そこで考えたのが『五十音の行の最初の文字+「ん」』で始まる言葉を使う、という法則。『「あん」たん』『「かん」げつ』『「さん」ざめく』『「たん」ぜん』…とこのようにずっと作っていって、『や』行だけがどうしても思いつかなかったので、タイトルに飛ばした。そして『わ』行に辿り着く前に曲が終わってしまった。

サビの一回目と二回目は基本的に同じオケだが、歌メロは全く違う。二回目を後から作ったのだけど、こちらの方がオケには合っていると思う。『爽と気付かぬ振りをしてまた歩み出す』という一行には、『そうと気付かぬ』と『颯爽と歩み出す』という意味をかけた。時々こういうバカバカしい遊びを入れたくなる。この最後のサビは花雲版バカコーラスとも言えるもの。たかだか3トラックだが、自分の声をこれだけ重ねたのは初めてだった。そしてコーラスをつけてから、この曲が急に好きになった。

『炎』という言葉を辞典で調べたら、最後に『「火(ほ)の穂」の意』と書いてあったので、それを勝手に漢字を変えて使った。私の中で燃えている火があるとしたら『火の緒』くらいの細くて頼りないものだろうと思ったから。しかし、最後の四行はよく書けたと思う。これがまさしく今の私だ。

鈍色の霧の中 ただ一念を携えて
早く進まぬ代わり 決して戻りもせずに

白き火の緒が 焦がさぬまでも
この胸を 止まぬ雨より長く燃やし続けるままに

『遣らずの雨』words : kaun

2006.6.5. 3 >『無限残像』

こういうやかましい感じの作品は、ほぼ一年に一曲しかできない。全くできない時もある。『無限残像』の前に、自分の中で同じジャンルに置いている曲ができたのはその一年半前、『幻影京』だった。その前というと一年二か月遡って『fact and crime』だ。どれだけテクノに向いていないのか。しかしできる時は一気にできる。琴やら笛やら入れたりして、相当『和』の雰囲気は出たと思っている。

しかしこの曲は何よりも、詞について弁明しなければならない。『依裡 依裡 喇嘛砂漠谷』、つまり『エリ エリ ラマサバクタニ』というのは『我が神、我が神、どうして私をお捨てなさる?』という意味で、聖書か何かに出てくる言葉らしい。…らしい、と曖昧になってしまうのは私はこの言葉を芥川龍之介の『西方の人』で見つけただけで、それ以上の詳しい事は調べてもいないからだ。突然あのメロディと共にこの言葉が降ってきたのでそのまま使った。意味が欲しかった訳でも何でもない。当時の作曲日記を読み返すと『他のものに変わるなら、そうした方が無難ではある』と書いている。誤解を恐れたためだ。が、結局は余りにもメロディに詞がハマりすぎていた事と、こんな曲が一つくらいあっても面白いだろう、という理由で変えなかった。ただ、直接的すぎるのもどうかと思ったので、後から漢字を当てた。

『なぜかこの曲に限って、いつも以上に雄弁に音から言葉が聴こえてくる』とも書いていた通り、他の部分も割と悩まず詞ができた。ただし自分でも意味の分からないものも多かった。音が、そう聴こえたから、というだけで『何もない円』などという理解に苦しむ言葉もためらわず採用した。『火の兄(ひのえ)』『火の弟(ひのと)』などは歌詞を見ない方が元の意味は掴めると思う。『丙』『丁』を辞典で調べたら元々こういう意味だと書いてあったので、かっこよくて入れた。『水の兄(みずのえ)』『木の兄(きのえ)』などと共に五行と呼ばれてそれぞれ関係性もある事も分かったが、その辺りには余りこだわらなかった。意味などない事を貫きたかったのだった。

『裏の目の賽(さい=サイコロ)』は、『裏目に出る』という事とかけている。私の行動は大体がこうなる。

『神の手に背いて』『光明があるとすれば この身の中に』などと書いているが、私は本当に窮地に立った時は、切り抜けられるかどうかは自分自身の心持ち一つにかかっていると思っている。仏や神の存在を全く信じていない訳ではない、ただ、同じ神頼みなら『お助け下さい』ではなく『力をお貸し下さい』と願うべきだ、と思うのだ。信じる事によって力を得て這い上がれるのなら、それは何ら悪い事ではないと考える。

完成したのは2005年10月。まさにこの曲を作り終えようとしていた時、『左低音障害型急性感音難聴』と診断されたのだった。こんな曲を作ってしまってバチが当たったのだろうか。しかし、この病によって私は、その後実に様々なものを得る事となる。

2006.6.14. 4 >『Temporary breakdown』

この曲を作る前、軽いスランプだった事を覚えている。音楽以外の部分でも色々と嫌な事が重なり、なかなか眠れない夜に詞の原型を考えていた。行の中にスペースが全くないのは、その時の私の余裕のなさの現われなのか。敬語(?)が出てくるのも非常に珍しい事だ。

『誇れるものが見つからない』とは思ったが、全くないというのも嘘だという気がした。そしてどんなに落ち込んでも焦っても、『苦しさだけが全て』だなどと自棄になるのはただの自惚れでしかないという事は知っていたし、『乗り切れないとは思ってない』のも確かで、そして結局、私には音楽しかないんだな、と考えていた。『諦めるのを諦めて』などと言ってはいるが、元々諦めるという事すらもできるとは思っていないのだ。

曲としては全体的に、詞の内容とは裏腹な明るくさわやかなものになった。こういうどうしようもない詞ほど、曲調は明るくなければならない。普段なかなかこの感じは出ないのだけど、よくよく思い出してみたら丁度十年前にはこのような音をかなり作れていた。今ほど深刻ではなかったが、あの頃もあの頃で、自分なりに色々と思い悩んでいた時期ではあった。

私にしか出来ない事を
確かにこの手に持っている
あの空が明け切るまでに
次の予定を立て終わりましょう

『Temporary breakdown』words : kaun

2006.6.21. 5 >『刹那に光る雪』

2006年最初に作った曲。ベースの音を一切入れなかった。歌っている部分はオケをぐっと抑えようと決めていたし、別に要らないな、と思ったのだ。しかし何よりも前年末に難聴が再発し、それが完全には治まらない中での曲作りだったため、低音を無意識的に避けたという事があるのかも知れない。当時の日記には『自分でも焦っているのがはっきり分かる。いつもはもっとかちかちに、もう二度と手を入れないくらいかちかちに作り込んでいくのだが、それをしている時間が惜しい。いつまた耳が悪化するか分からないという恐怖が常にあるからだ』と書いている。聴こえにくい、音が響く、難聴なのに脳外科で検査を受けたり、病院を変えたりと、とにかく身体的にも精神的にもひどく状況が悪く、頭がおかしくなりそうな日々だった。その事はアルバムの中でもこの作品の詞に最もよく現われている。

『刹那に光る雪』というのは、私が小さい頃から見続けている或る現象を表現した言葉。小さいがとても強い光が時折目の前をひらひらと横切る。手を伸ばせば掴めそうなほどに判然と見えるもので、いまだに正式名称は分からないのだけど、この病になってからまたよく見えるようになっていた。決して歓迎すべきものではないのだが、ああ、きれいだな、と思って見ていたのだ。

物事の形崩れて 日常の文色もつかぬ
ひらひらと 儚げながら
鋭くも舞うあの光

いつまでに抜け出せるとも分からず 先も見えず
止まずに続くうねりの中で 戦慄の知らせにも似て

私だけの視界に 降り初めた雪のよう
絶望の中に それでも 美しさを見ていた

『刹那に光る雪』words : kaun

2006.6.27. 6 >『心象』

花雲の中で、『静嵐』や『capella』と同じ引き出しに入っている曲。こういうものがごくたまにできる。大抵、スランプで苦しんでいる時だ。完全に曲先行で作り終えたので、作詞と録音には非常に苦労した。『capella』の次くらいに苦労した。あの頃より少しは自分の声がコントロールできるようになっているという事なのか。飛行機や雨の音などの効果音的なものも多少入っているが、雨音はひどいと思う。

アルバムの中で唯一、マスタリングエフェクトを使わなかった曲。かけたらノイズが出たという理由もあるが、この作ったままの状態の音が丁度よかったのではないかと今は満足している。

『きらきら』なんていう言葉が出てくるのは非常に珍しい。初めてかも知れない。曲ができないというより、何を書いたらいいのか分からない時期だったような気がする。移り変わるようでいて、結局また同じ季節、同じ一年が過ぎていく。忘れ去る事のできない重苦しい記憶が幾度もよみがえって、よせばいいのに過ぎた事で苦しみ続ける。そうしているうちにいつの間にか、物事はわずかながら動いている。そういうものが、ゆっくり、ゆっくりとこの歌になった。出来上がってみればそれほど悪くもない詞ではあったけれど、自分で本当に『あ、書けたな』と思ったのは最後の二行だけ。

何もかも携えて
少しずつ生きる

『心象』words : kaun

喜びも。苦しみも。これまでの一切合切を。

2006.7.5. 7 >『Travel of escape』

こういうタイプの曲はこれまで作った事がなかった。歌メロの動き方。ギリギリまで下げた音程。オケ、特にドラム。しばらく曲作りをしないでいた後に突然珍しいものが出来始めたのだった。非常に難産だったが、この曲を完成させられた事はほんの少しだけ自信にもなった。

詞の原型は、東京から帰ってくる飛行機の中で書いた。『あの半月と同じ高さまで』飛べるのも、『足の下で 恐ろしいほどに泡立つ雲の群れ』を見る事ができるのも、つまり飛行機に乗っている時だけという訳だ。私は数か月に一度、道内や道外に旅をする。その殆どは生の舞台を見に行くのが目的だけれども、現実逃避という事もまた、大きな理由になっている。時折『日常』を離れなければ崩壊しそうになる。実は『Temporary breakdown』にも、少しだけこの事を書いた。

逃げ出して、休息して、元の場所に帰り、次の逃避行の予定を糧に、少しずつのろのろと進んでいく。そんな事を、ただ繰り返している。

雲を透かして輝く月が
見知らぬ街で息をつく私を
真っ直ぐに
真っ直ぐに射抜いてる

『Travel of escape』words : kaun

2006.7.14. 8 >『この夜空に嵐が来る前に』

今作収録曲の中で一番最初にできたもの。つまり、創作環境を一新してから初めての作品。とにかくDigital PerformerやSD-80に言う事を聞いてもらうのが大変だったという印象しか残っていない。そしてアルバムに入れるまでにやはり一番手直しをした曲でもある。

前作の最後に完成した曲(『疾走』)から十か月間のブランクがあった訳だが、オケやメロディに関してはそれほど苦労しなかった。Aメロは頭の中で作っていて、忘れないように時々確認していたというから最初からこういう曲調にするつもりではいたのだろう。

詞の最初の三行は或る芸術作品を見て書いた。『悔いはないという君の言葉』というのはラスト近くの主人公のセリフのこと。私は『そんなの絶対嘘だ』と思ったのだ。当初はもう少し内容が絡んだ詞だったかも知れないが、最終的にはこの三行だけが残った。『何かに感銘を受けて書いた詞でも、私自身の思いや体験がそこに入り込まないという事はない。足したり引いたりしているうちにいつの間にか、自分の事になる』と当時の日記にも書いている。

嬉しい記憶も嫌な思い出もとにかく全てが『大切な糧になる』と思っている事は、最近の作品によく出てくる気がする。私は花雲を誕生させる事になった時に、特に判然とそれを学んだ。

ちなみに『ぬかるみ』を『糠る海』と書くのは漱石先生が使っていた当て字です。

2006.7.24. 9 >『深淵の前で』

今作唯一の三拍子。一作に一曲で充分だと思う。オケとしては結構色々な事をやっている。自分では『蒼天賦』の次くらいに気に入っている曲。コーラスも部分によっては相当自己主張していて、どちらが歌メロでもおかしくない作りになっている。こういう事はこの歌で初めてやった。歌に関して言えば、当時の日記に『この曲を作り始めた時に「自分が一番気持ちよく歌える音域にしよう」と決めた』と書いた通り、音程を取るのには苦労しなかったが、どれだけ感情を込められるか、という点に於いてボツテイクの山を築いた。

『意図的に、説明し切らないように気をつけている』とも書いたように、詞の前半は具体的な描写を避けた。私の頭の中にははっきりとしたイメージがあり、それは今でもこの曲を聴く時に鮮やかに引き出す事ができる。『永劫の淵』の前に佇む人。この深淵の前から再び這い上がってくるかどうかは、結局本人の心一つにかかっている。このままそれに同化してしまうのも悪くないかも知れない、などと考え始めている人の手を、『私』は離す事ができない。離せば墜ちると分かっているから。軽々しいなぐさめの言葉など到底届かない場所だからこそ、この手をただ強く掴んで、戻ろうと思ってくれるのを待っているのだ。

2006.8.3. 10 >『金剛の石』

これこそ、この病気(左低音障害型急性感音難聴)にならなければ作らない、作れない曲だった。作り始める前まで、聴こえにくい期間が長く続いていた。そこから抜け出せた時、割と一気に出来上がってきたように思う。今作収録曲の中で一番最後に完成した曲。こういうものをアルバムの最後に据えるのは初めての試みだったが、これ以外にはあり得ないと思った。

金剛という言葉は仏教の神様の意味で使った。『金剛石』というとダイヤモンドになるのだが、この石はそんな単純なものではない。だから『金剛の手にしている石』という表現にした。

九曲目で『深淵』と書いたものの前に、これまでの人生で二度佇んだ。二度目が難聴になった時だ。私は花筐に『音楽がなくても、生きていく事はできる』と書いた。もしもこのまま耳が聴こえなくなって、音楽を作る事も、聴く事すらもできなくなったとしても、おそらく死にはしないだろう。しかし『死なずにただ生きている』のと、『生きる価値を持って生きている』のとは、全く別の事なのだ、と今更ながら気付かされた。当時の日記に書いた事を、もう一度載せておく。

これまでずっと、曲を作るのは余りにも当然の事だった。才能の枯渇や意欲の消失よりももっと絶対的な理由でそれができなくなりそうだと感じた時の恐怖は、きっとこの先長く私の中に残るだろう。
そして、その恐怖と、それを乗り越えつつある今の過程が、作品になっていく。絶望さえも材料にする。感情を成仏させるための作業である。

私は一度目よりは少し強くなった。この病は確かに苦しい。しかし今はもう、絶望に手を引かれても深淵に踏み出そうとは思わない。この決意がある限り、金剛は私と共にいてくれるだろうし、その石が修復できないほど粉々に砕け散る事もないだろうと思う。

ちなみに、二度目のサビの中に、その頃或る事で辛い思いをしていた友に宛てたメッセージを入れた。本人には伝えていないけれど。
『誰の中にも金剛が 多分いるはずだと思う』−今でもそう思っている。

 

さて、『静森微音』全曲解説もようやく最終回となりました。これまでお付き合い下さいました皆様、ありがとうございました。

T O P

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